大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)55号 判決

原告

野崎良雄

被告

特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が昭和56年審判第16275号事件について、昭和57年12月24日にした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文同旨の判決

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「上面に沿つた吹出流を持つ翼」とする発明(以下「本願発明」という。)につき昭和49年4月8日特許出願をした(なお、本願は昭和45年12月31日出願に係る特願昭45―127703号の分割出願として出願したが出願日の遡求が認められなかつた。)ところ、昭和56年5月29日拒絶査定を受けたので、同年8月11日審判を請求した。特許庁は、これを昭和56年審判第16275号事件として審理した上、昭和57年12月24日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は昭和58年3月15日原告に送達された。

2  本願発明の特許請求の範囲

本文と図面に詳記の如く、スーパークリチカルウイングの如く、主翼上面に長い平坦部を持つ翼断面形の翼の前縁部上面に接し、噴流を前記スーパークリチカルウイングの平坦部分にほぼ平行に前記噴流を噴射せしめるようにした事を特徴とした航空機における垂直又は短距離離着陸装置において、垂直又は短距離離着陸航空機に係る垂直又は短距離離着陸方法

3  審決の理由の要点

1 本願発明の要旨は前項に記載のとおりである。

2 これに対し、特公昭41―10266号公報「以下「第1引用例」という。)には、航空機の翼の主翼前縁部上面に接して噴流を該翼上面に沿つて噴射せしめることにより揚力を生じさせる垂直又は短距離離着陸方法について記載され(別紙図面参照)、またAvia-tion Week&Space Technology 1970年6月22日号55ないし56頁(以下「第2引用例」という。)には、本願出願時周知の、主翼上面に長い平坦部分を持つ翼断面形の、いわゆるスーパークリチカルウイングについて記載されている。

3 そこで本願発明と第1引用例に記載のものとを対比すると、両者は、航空機の翼の前縁部上面に接して、翼上面に沿う噴流を噴射させ、コアンダ効果も含めて揚力を生起させる技術思想について共通しているが、第1引用例においてはその翼型を特定していないのに対し、本願発明では、翼型をスーパークリチカルウイングのような上面に長い平坦部分を持つものに限定した点でのみ相違する。

4  ところで、停止した翼の上面に沿つて高速気流を送れば、気流の流体力学効果にコアンダ効果も加つて翼に対する揚力が生起することは第1引用例にも記載されているとおり公知の事実であり、その効果は翼型の如何を問わず、スーパークリテイカルウイングにも適用できることは技術常識に属することである。そして上面に長い平坦面を有する翼型の存在も、1960年代にPearceyによつて発表されたいわゆるPeaky翼型やWhitcombのスーパークリテイカルウイング等で周知であるから、離着陸の低速時に第1引用例に開示された翼前縁部上面に接して翼上面に沿う噴流を噴射させて揚力を生起させる技術思想を、この種翼型を有する航空機に適用すること自体は、格別の技術的困難が存するとは認められない。

むしろ問題は、スーパークリテイカルウイングが0.7マツハ以上の設計マツハ数に好適なものとして設計されている以上、亜音速の航行の際に機体、翼及びエンジンの配置が空力的構造的にいかに配置されるべきかに存するのであるが、本願発明の詳細な説明にはその課題に対する具体的な開示がなく、更に発明の要旨においてその点についての言及は存しない。

5  してみれば、本願発明は、第1引用例に開示された技術思想を単にスーパークリテイカルウイングに適用したにすぎないものと認められるので、第1引用例及び第2引用例から当業者が必要に応じて容易に発明できたものというべきであり、特許法29条2項に該当し、特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

審決の理由の要点1は認める。同2のうち第1引用例の認定は否認するが第2引用例の認定は認める。同3のうち第1引用例のものと本願発明との間に審決認定の共通点があることは否認し、相違点があることは認める(但し、相違点はこれに尽きるものではない。)。同4のうち上面に長い平坦面を有する翼形がスーパークリテイカルウイング等で本願出願時周知であつたことは認めるが、その余は否認する。同5は争う。

審決は、以下主張のとおり、第1引用例について2つの点で認定を誤つたために、それに対応して本願発明と第1引用例のものとの相違点を看過し(取消事由(1)、(2))、また本願発明の特有の作用効果を看過した(取消事由(3))結果本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取消されるべきである。

1 取消事由(1)

審決は、第1引用例には航空機の主翼前縁部上面に接して噴流を噴射させることが記載されていると認定し、この点で第1引用例のものと本願発明とは技術思想が共通であると判断するが、この認定判断は誤つている。

(1)  第1引用例のものは、その第2図(別紙図面第2図。以下同じ。)に示されているとおり、ジエツトエンジン5の噴口6の先端は、主翼2の前縁上面Mから水平方向にも、垂直方向にもまた斜め方向にも相当の距離を置いて設置されている。従つて、第1引用例のものは、ジエツトエンジンからの噴流は、噴射後相当の距離を経た後主翼前縁上面Mに衝突するものである。第1引用例のものは、このように噴口6の先端と主翼前縁上面の間に相当の距離が存在するために、噴口6を出た噴流は、上下方向にも末広がりに拡散しつつ流れが圧縮加速され、エンジンの推力線LDより上向きに方向を変えながら翼の弧面頂点を通過し、また主翼前縁上面Mに衝突して上方へ外れてしまい、主翼の前縁上面Mに接した流れとはなり得ない。

従つて、審決が第1引用例には航空機の主翼の前縁部上面に接して噴流を噴射させることが記載されていると認定した点は誤つている。

(2)  これに対して本願発明は、主翼前縁上面に接して噴流をスーパークリチカルウイングの平坦部分に噴射せしめるものであり、右引用例のものと明白に異なるものである。

審決は、前記のとおり第1引用例の認定を誤つた結果、これと本願発明との右相違点を看過したものである。

2 取消事由(2)

審決は、第1引用例には噴流を翼上面に沿つて噴射せしめることが記載されていると認定し、この点で第1引用例のものと本願発明とは技術思想が共通であると判断するが、この認定判断も誤つている。

(1)  第1引用例のものは推力線LDと主翼弧面Nとの間の角度βが過大であるために、ジエツトエンジン5の排気噴流の速度が0.75マツハ以下であつても翼下面に所要の流速が得られず、翼上面で剥離現象が生じ、またその速度が0.75マツハを越えると翼上面に衝撃波を生じ、その後側では剥離渦流となり、衝撃失速を起こし、いずれにしても排気噴流は主翼上面に沿つて流れ得ない。この点を詳述すると以下のとおりである。

(1) 第1引用例の第2図の記載によれば、ジエツトエンジン5の推力線LDと主翼弧面Nとの間には角度βが存在するが、主翼弧面Nに沿つて排気噴流が流れるためにはβが零度付近か、大きく見積もつても3度以下でなければならないと考えられる。また推力線LDと翼弦面(下面)とのなす迎え角(第1引用例におけるα)の範囲は、飛行の安全性を考慮すると最大12度前後でなければならない。迎え角がこの値を越えると、翼上面の排気噴流が、翼の後縁から剥離して渦を生じ失速する。

ところで、第1引用例には右α及びβの最大値について具体的開示がないので、第1引用例の図面第2図を基にしてこれを分度器で測定すると、αは14度、βは21度の値が得られる。従つて、第1引用例のものは、α及びβの値が過大であるために、排気噴流は主翼上面に沿つて流れることができない。

(2) また、第1引用例に記載の上面凸型の従来の翼にあつては、その翼の上面に沿つた流れを得るためには翼の下面に上面側の約80%以上の流速が存在する必要があるのであり、このことは甲第9号証の1ないし3(田中幸正著「航空工学概論」株式会社地人書館発行29頁2・4項)に記載されたところから明らかである。これは、一度翼前縁上部で上向きに曲つた翼上面の流れを再び翼上面に沿つて下向きに曲げるためには翼下面に翼上面の約80%以上の流速を保つて、下面側の静圧を、静止した大気圧よりも相当低い圧力に保つ必要があるからである。

しかるに第1引用例のものは、垂直離着陸時においては機体の前進速度がないために主翼下面の流速はほぼ零であり、短距離離着陸時においても離着陸速度程度に過ぎず、この速度は排気噴流速度のせいぜい10%程度に過ぎないものである。従つて第1引用例のものは、翼下面に上面の80%以上の流速が得られないものであるから排気噴流が翼上面に沿つて流れることができず、翼上面で剥離して渦流を生じ飛行できないものである。

(3) 更に、第1引用例のものは排気噴流の流速が0.75マツハを越えると、衝撃失速を起こし、翼上面に沿つた流れが得られない。

第1引用例のものは、噴口6を出た排気噴流が翼の上下方向にも末広がり状に拡散し、主翼前縁上面Mに衝突し、圧縮、加速され噴口6を出た瞬間の速度より大きい速度で翼の弧面頂点を通過する。そして排気流が噴口6を出た瞬間の速度が0.75マツハを超えると、翼弧面頂点を通過する流速は音速(1マツハ)を越え翼上面に衝撃波を生ずる。このように衝撃波を生ずると翼後縁側では噴流が翼上面に沿つて流れ得ず剥離渦流となり揚力の激しい減少と渦により翼の振動を伴う衝撃失速といわれる現象を惹起し飛行ができない。

ジエツトエンジンは高速飛行の目的で開発され、その排気噴流の速度は飛行速度よりも高いのであり、第1引用例の出願時である昭和37年当時既にジエツトエンジンの排気噴流速度が0.75マツハを越える技術が存在していた。

従つて、第1引用例のものはジエツトエンジンの排気噴流は0.75マツハを越えたものであるというべきであるから、排気流は翼弧面頂点を通過すると流速が音速を超え、翼上面に衝撃波を生じ翼後縁では噴流が翼上面に沿つて流れることができず、結局飛行できないものである。

(2)  これに対し、本願発明においては、明細書の記載から明らかなとおり、空気吹出口が主翼本体の前縁上面に接しており、ここからの噴流は主翼本体の上面の長い平坦部分に沿つて流れるので、第1引用例のもののように剥離を起こすことがない。

3 取消事由(3)

既に2に主張のとおり第1引用例のものは噴流が主翼上面に沿つて流れ得ないため飛行できないものであるのに対し、本願発明では噴流が常に主翼上面に沿つて流れるので、第1引用例にはない作用効果を有するものである。しかるに審決は、第1引用例のものについて、2に主張のとおり認定を誤つた結果本願発明が奏し得る次のような特有の作用効果を看過している。

すなわち、本願発明におけるスーパークリチカルウイングは、第1引用例における上面凸形の従来の翼と異なり、翼上面の平坦部分が前縁から後縁に亘り著しく長い部分を占めているので、この平坦な翼上面に沿つてこれにほぼ平行に後方へ噴射された噴流は、そのまま翼上面に流れ、第1引用例のもののように主翼前縁Mに衝突して上方へ外れることがない。従つて、本願発明は、第1引用例のもののように排気噴流が主翼の前縁上面Mに衝突し上向きになつたものを下方に曲げる必要はなく、翼下面の流速が存在しない垂直離着陸状態においても翼上面に沿つた流れが得られ、また、右噴流の速度が0.75マツハ以上であつても、第1引用例のもののように、衝撃波を生ずることなく安定した揚力が得られる。

第3請求の原因に対する被告の答弁と主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認め、同4の主張は争う。

2  審決の第1引用例の認定及びこれと本願発明の対比判断には誤りがなく、原告主張の審決取消事由はいずれも失当である。

1 取消事由(1)について

原告は、第1引用例の図面第2図を基にして審決の認定を争うが、同図面は、推力線LDを中心にエンジンと翼の関係を説明する模式図であつて、設計図のように正確な寸法配置を示す図面ではない。そしてその具体的説明として、第1引用例の発明の詳細な説明の冒頭に、「本発明は、ジエツトエンジンの排気噴流を、飛行機の主翼前縁に一部を触れしめ、……主翼面に揚力を生ぜしめるべくせる垂直又は短距離離陸或は着陸方法に係る」旨明記され、特許請求の範囲にも同旨の記載がある。この記載に照らして、審決は、第1引用例につき「主翼前縁部上面に接して噴流を……噴射せしめる」旨認定し、この点で本願発明と共通である旨判断したものであり、この認定判断に誤りはない。なお、審決が第1引用例をこのように認定したのは、本願発明の要旨である「主翼上縁部上面に接し……噴流を噴射せしめる」ことと対比すべきものであるからであり、主翼とエンジンの位置関係が問題ではないのである。

よつて、原告の取消事由(1)の主張は失当である。

2 取消事由(2)について

(1)(1) 一般に、失速角よりも小さい迎え角の気流は、翼上面に沿つて流れ、剥離を生じないこと、そしてこのような流れにおいては翼上面に負圧を生じて揚力を発生することは、確立された経験則であり、当業者に自明のことである。このことは例えば、乙第1号証の1ないし3には、「ある迎え角になると揚力は減少を示し、同時に抗力が著るしく増す。これは翼が失速を起しているのである。一般に翼の周りの流れは、迎え角が小さいうちは翼の表面に沿つて流れているが、迎え角が大きくなると流れは翼の前縁をまわることができなくなつて、流れがはく離する。(中略)このような流れにおいては、翼の上面に……負圧が生じないので、揚力は減少する。しかも剥離すると後縁の負圧はさらに低下するので抵抗が増す。(中略)失速防止には空気の流れが翼型の前縁をまわりやすいように設計するのがその第一歩である。」との記載があり、また乙第2号証の1ないし3には、「翼の最大揚力は流れが上面で剥離することに依てその値を押えられる。そして此の剥離が起るのは大迎角に於て翼上面に圧力上昇があるために起ることは前に述べた如くである。(中略)大迎角では流れは上面に沿えなくなつて剥離を起す。」と記載されていることに照らしても明らかである。

しかして、第1引用例には、「速度Wのジエツト損失エネルギは、……負圧力を生じる。故に……平均負圧Pukg/m2を、前記投影面積Sm2に作用させ……Pu×S=Gkgで主翼2を吸上げる」(1頁右欄14行以下)旨の記載がある。揚力を得るために、剥離が生じないよう失速角以下の迎え角をとる必要があるという前記技術常識の下で、この記載をみれば、第1引用例には噴流が、失速角以下の迎え角で噴出され、従つて翼上面に沿つて流れている状態が開示されているとみるのが自然な解釈である。

ところが原告は、第1引用例の第2図を基にした実測値からαを14度、βを21度であるとしてこれを根拠に噴流が翼上面に沿つて流れ得ないと主張するが、同図は前述のとおり設計図とは性格を異にする概念図であり、その測定値は定量的意味をもたないものである。

(2) また原告は、甲第9号証を引用して、上面凸型の従来の翼が、その翼の上面に沿つた流れを得るのには、翼の下面側にも上面側の約80%以上の流速の存在が必要である旨主張する。しかし、右甲号証の記載をみると、「翼の周りの速度分布を例示すると……」とあるように1つの例示に過ぎないのであり翼の下面に上面の80%の流速を常に必要とするものではない。若し原告が主張するように剥離が生じないためには翼の下面に80%もの流速が常に必要であるとすれば、ジエツト噴流による垂直離着陸は、原告の本願発明を含めて実施が不可能である。

(3) 原告は、第1引用例の出願当時既にジエツトエンジンの排気噴流速度が0.75マツハを越える技術が存在していたことを根拠として、第1引用例のものもこのようなエンジンを備えたものであるとして、右引用例のものは噴流が翼上面に沿つて流れない旨主張する。

しかし、垂直又は短距離離着陸方法に関する本願発明及び第1引用例のものは、このような高速の噴流を用いるものではない。すなわち、翼上面に吹出した空気流は、翼に対して揚力と推力を生じさせ、翼後端から後方にむかう気流は、推力を発生させることになるが、本願発明のような垂直又は短距離離着陸方法においては、通常の航空機の離着陸方法に比して、推力を零又は極めて小さくすることが必要となる。本願明細書において、「本発明では、翼下面側では空気流速ゼロに近く、上面側に数10米毎秒の空気を流して揚力を得る」(甲2号証の5の2、4頁3~5行)と記載され、その際の吹出空気の速度計算例として63.5米毎秒(約0.2マツハ)を下限として挙げている(同6頁4行以下)がこの装置を大幅に超える流速の噴流を噴出させれば、推力による前進速度を生じて垂直又は短距離離着陸の目的を達成することができない。したがつて原告の主張する0.75マツハ以上の気流を垂直又は短距離離着陸の際に使用することは、目的にてらしてありえないことであり、本願発明や第1引用例において対象外の流速である。

なお本願明細書には、0.9マツハ等の数値があげられているが、それらはすべて水平飛行時の数値であり、離着陸時の流速には関係ない事項である。

このようにみるとき、垂直又は短距離離着陸時の噴流速度としてはたかだか百米毎秒程度を想定するのが技術常識からみて当然であり、この程度の気流で一般の翼型において衝撃失速による剥離を生じることはありえない。

(2) 以上のとおりであるから、第1引用例のものも噴流を翼上面に沿つて噴射させるものであつて、本願発明と異なるところがない。

よつて原告の取消事由(2)の主張も失当である。

3  取消事由(3)について

原告主張の取消事由(3)は、第1引用例のものは噴流が主翼上面に沿つて流れ得ないものであることを前提とするものであるから失当である。

なお、仮に本願発明において、垂直又は短距離離着陸の際に0.75マツハを超える高速気流を使用しその場合に衝撃波を生じないとしても、それは翼上面が平坦なスーパークリチカルウイング自体の性質に外ならないのであり、スーパークリチカルウイング自体は周知のものであるから、右の効果は、本願発明に特有のものでないことは明らかである。

よつて原告の取消事由(3)の主張も失当である。

第4証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで審決取消事由について検討する。

1 取消事由(1)について

成立に争いのない甲第3号証によると、第1引用例の発明の詳細な説明の欄冒頭に、「本発明は、ジエツトエンジンの排気噴流を、飛行機の主翼前縁に一部を触れしめ、……負圧力を作らしめ主翼面に揚力を生ぜしむべくせる垂直又は短距離離着陸或は着陸方法に係」るとの記載(1頁左欄12ないし16行)及び特許請求の範囲にもこれと同趣旨の記載があり、また第1引用例の図面第2図には、ジエツトエンジン5の噴口6が主翼2の前縁上面Mの方向に向けられ、かつ右噴口からの噴流を示す破線によつて、噴流の一部(最上方向のもの)を除く多くの噴流が右前縁上面Mに接するように流れる状況が描かれていることが認められる(別紙図面参照)。

そうすると、審決が第1引用例には、航空機の翼の主翼前縁上面に接して噴流を……噴射せしめることが記載されている旨認定した点に誤りはない。

原告は、第1引用例の第2図の記載から、第1引用例のものは、ジエツトエンジンの噴口と主翼前縁上面との間には相当の距離があるために噴流が上下方向にも末広がりに拡散し、主翼の前縁部上面に接した流れとはなり得ない旨主張する。なるほど前掲甲第3号証によると、第1引用例の第2図にはジエツトエンジン5の噴口6の先端と主翼2の前縁上面Mとの間には若干の距離を置いて配されたものが図示されていることが認められる。しかし同図はエンジンと翼の関係を説明する模式図であつて両者の正確な寸法配置を示す設計図ではないことは後記2(2)(1)に述べるところに照らし明らかであるから、同図に描かれたジエツトエンジンの噴口の方向、右噴口からの噴流の流れを示す破線の状況をはじめ前認定の第1引用例の明細書の記載を併せ考えれば、ジエツトエンジンの噴口先端と主翼前縁上面との間に、前記認定のとおり若干の距離があるように図示されていることの一事をもつて右噴口からの噴流が、主翼前縁上面に接した流れとなり得ないものとは到底解されない。

よつて、審決が第1引用例には航空機の翼の前縁部上面に接して噴流を噴射させることが記載されている旨認定し、この点で第1引用例のものと本願発明とは技術的思想が共通であるとした点に誤りはないから、原告の取消事由(1)の主張は採用できない。

2 取消事由(2)について

(1)  成立に争いのない乙第1号証の1ないし3(「飛行力学の実際」内藤子生著、31頁)及び乙第2号証の1ないし3(「航空力学の基礎と応用」糸川英夫著、138~139頁)にはそれぞれ被告が主張するとおりの記載があり、これらの記載によれば、航空機において、翼の迎え角が小さいときは、翼の周りの流れがその表面に沿つて流れ、このような流れによつて翼の上面に負圧を生じ揚力が得られるが、迎え角が過大になると流れは翼の前縁を回ることができなくなつて剥離を生じ、このような流れにおいては、翼上面に負圧を生じないため揚力が得られなくなるものであり、このことは当業者において周知の技術事項であると認められる。

しかして第1引用例には、前記認定のとおり「本発明は、ジエツトエンジンの排気噴流を、飛行機の主翼前縁に一部触れしめ、……負圧力を作らしめ主翼面に揚力を生ぜしむべく……」との記載があるほか、前掲甲第3号証によれば、同引用例の発明の詳細な説明中には、「……速度Wのジエツト損失運動エネルギーは、……負圧力を生ぜしめられる。故に……有効平均負圧力……を、前記投影面積Sm2に作用させる。主翼弦面3には大気圧が働いておるので……主翼2を吸い上げる。」(1頁右欄14ないし20行)との記載があり、同引用例の図面第2図には、ジエツトエンジン5の噴口6からの噴流を示す破線が主翼2の前縁Mを経て翼上面後方に向けて流れるように描かれていることが認められる。

前記周知技術を前提として、第1引用例の右のような各記載をみれば、同引用例には、噴流が主翼上面に負圧を生じ揚力が得られるようにすると、すなわち噴流が主翼上面で剥離を生ずることなく主翼上面に沿つて流れ、これによつて揚力が生ずるようにすることが記載されているものと認められる。

(2)(1) 原告は、第1引用例の図面第2図のα(迎え角)及びβを右図面において測定し、これを根拠として第1引用例のものは迎え角が過大であるため、噴流は主翼上面に沿つて流れ得ない旨主張する。

しかし、第1引用例のような特許公報に記載された図面は、通常、その発明に係る技術内容を明細書の記載と関連させて正確な理解が得られるようにする目的で用いられるものであり、物や装置の説明に関する図面にあつては、その物の形状や装置の構成について説明の対象外部分を省略したり、主要部分を強調するために模式的に記載するのが通例である。従つて、このような図面は、明細書の記載と併せ考慮し、形状や配置が正確に表示されていることが明らかである場合は格別、そうでない場合には、その形状や構造を図面の記載のみで判断することはできない。

前掲甲第3号証によると、第1引用例に記載の発明にあつては、迎え角自体が特に問題とされているものではなく、明細書中にも迎え角についてはその具体的数値や限界値に関する記載はなく、推力線と主翼弦面とのなす角(迎え角)及び推力線と翼弧面とのなす角については特定数値によらないで、それぞれα、βという記号をもつて表示されていることが認められ、このことからすれば、その第2図に記載されたα及びβの値がその発明における正確な値として表示されているものということはできず、他に右明細書及び図面を検討しても右第2図に記載の主翼断面形状や推力線と主翼とのなす角度等が設計図のように正確に表示されているものと解すべき特段の事情は見当たらない。

そうすると、右α及びβを同図に基づいて測定し、この値が過大であることを前提とする原告の前記主張は誤つており採用できない。

(2) 原告はまた甲第9号証の1ないし3を根拠として第1引用例のものは、翼下面に翼上面の約80%以上の流速が得られないから噴流は翼上面に沿つて流れ得ない旨主張する。そして、成立に争いのない甲第9号証の1ないし3には、「翼の空気力とベルヌーイの定理」と題して、上面凸型の翼が大気の自由流れの中におかれるときの実験例として、翼の周りの速度が下面側において上面側の約80%であつてその状態では剥離を生じないで滑らかに流れたという測定結果の一例が示されていることが認められる。

しかし、前掲甲第3号証によると、第1引用例のものは翼の上面にのみ噴流を与えて揚力を生じさせる垂直又は短距離離着陸方法に関するものであることが明らかであるから、翼が大気の自由流れの中におかれるときの実験例である前記甲第9号証の場合は第1引用例のものとは前提条件が異なるといわなければならない。従つて、甲第9号証の1ないし3は、第1引用例に関する前記認定を左右しない。

(3) 成立に争いのない甲第2号証の5の2、前掲甲第3号証によると、本願発明も第1引用例のものも共に主翼上面に噴流を噴射させることにより揚力と推力とを生じさせて垂直又は短距離離着陸を行う方法に関するものであるから、垂直離着陸の場合には噴流が揚力のみに作用し、推力を生じさせない必要があり、また短距離離着陸の場合でも推力を極めて小さいものとする必要がある。蓋し、推力が右程度を越えるときは、機体が必要以上に前進し、垂直又は短距離離着陸の機能を果たし得ないからである。

そうすると、垂直又は短距離離着陸時における噴流の速度には自ら限度があることが推認されるところ、前掲甲第2号証の5の2によると、本願明細書の発明の詳細な説明の項には、「……本発明では翼下面側は空気流速セロに近く、上面側に数十米毎秒の気流を流して、揚力を得る。」との記載(4頁3行~5行)及び翼上面に吹出す空気流の流速が63.5米毎秒(約0.2マツハ)であればVTOL能力(垂直離着陸能力)が得られる旨の記載(6頁4行~8頁11行)があることが認められる。

右の記載によると、本願発明及び第1引用例記載の発明の方法が垂直又は短距離離着陸時において、右63.5米毎秒(約0.2マツハ)の3倍を越える0.75マツハ以上の高速の噴流を用いるということは考えられないところであり、本願明細書及び第1引用例を検討しても両発明においてこのような噴流を用いることを窺わせる記載は見当らない。(もつとも、前掲甲第2号証の5の2によると、本願明細書中には「0.9~0.95マツハ」、「0.8~0.84マツハ」などの記載が認められるが、これらはいずれも飛行(巡航)速度について述べらたものであつて垂直又は短距離離着陸時における速度に関するものでないことはその前後の記述に照らして明らかである。)従つて、第1引用例のものは排気噴流の流速が0.75マツハを越えると衝撃失速を起こし、翼上面に沿つた流れが得られない旨の原告の主張は、その前提において誤つており、採用することができない。

(3)  以上のとおりであるから、審決が第1引用例には噴流を翼上面に沿つて噴射せしめることが記載されていると認定し、この点で第1引用例のものと本願発明とは技術的思想が共通であるとした点に誤りはなく、原告の取消事由(2)の主張も採用できない。

3  取消事由(3)について

原告の取消事由(3)の主張は、第1引用例のものは噴流が主翼上面に沿つて流れ得ないものであることを前提とするものであるところ、この点が誤つていることは2に判示したとおりである。

そして、本願発明においては第1引用例のもののように排気噴流を主翼前縁部で上向きになつた排気噴流を下方に曲げる必要がない点は、原告の主張自体からも明らかなとおり主翼上面に長い平坦部分を持つ翼(スーパークリチカルウイング)を用いることに伴つて生ずる当然の効果であるところ、このような翼が本願出願当時(昭和49年4月8日)周知であつたことは原告の自認するところであるから、右の点は本願発明に特有な効果ということはできない。また、噴流の速度が0.75マツハ以上であつても本願発明では衝撃波を生ずることがないとの点が主張自体失当であることは前記2(2)(3)に述べたところから明らかである。

4  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも失当であり、審決には違法の点はない。

3  よつて、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 松野嘉貞 清野寛甫)

〈以下省略〉

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